運営者情報

運営者の自己紹介

ようこそパコ通信へ。
初めまして。
運営者のsrx3riderと申します。
Windows95時代から使い古したハンドルネームです。
得意分野は幅広く音楽全般、バイク、車、エンタメ系。
年齢はさんまさんと同学年。
大学では哲学専攻だったので、これはタモリさんと同じ。
そのため死生観にも大いに興味があったりします。

運営者のプロフィール

仕事も広範囲に及び出版社の編集者、印刷機メーカーの組立・修理要員、農機具メーカーの営業・組立・修理要員等を全て正社員として勤めて来ました。
教員免許英語・国語・社会の3教科コレクターでもあったりします。
そのため大学卒業後の1年間は高校で今は無き倫理社会科の教師もしていました。
カラオケも得意でポケカラでランキング1位の曲がQUEENのLove of My Lifeを筆頭に何曲かあったりします。

そして何と言っても日本随一のコピーライターであり、画家であり、小説家であり、脚本家であり、詩人でもあられる少女漫画界の巨匠・文化功労者・大島弓子先生の大ファンです。
私の中での先生の位置付けは、先生もお好きなフランス画家・象徴主義絵画の先駆者ギュスターヴ・モローの象徴主義の思想を少女漫画に落とし込んだ世界で唯一の作家である、という評価です。奇遇にも彼が悪戯書きで描いた恋人とのイラスト(上掲)が、先生の描く漫画のスタイルにそこはかとなく似ているのはそのメッセージの現れなのでは? と勘繰ったりしています。

事の始まりは中学生当時、妹がいたので普通に少女漫画が傍にあり、最初は大和和紀先生の詩的な作品が目に留まりチラ見しておりました。
そうこうしているうちに何の切っ掛けか忘れたのですが、音楽大学受験に失敗しての浪人中に何故か本気で少女漫画にハマってみたくなり、小学校の同級生で当時片想いの相手でもあった漫画家志望の女の子に長い手紙を書き綴り、お勧めの漫画家を尋ねてみました。
優しかった彼女は真剣に返事をイラスト付きで書いてくれて、その答えが筆頭に大島先生、萩尾望都先生、3番目が田渕由美子先生でした。

ちなみに後に知った話ですが、奇遇にも田渕先生は私が通っていた高校の1年先輩だったのでした。
デビューが1970年ということですので逆算すると16歳の時、そうなると同じ学舎にプロの漫画家が通っておられたことになりますね。
タイムスリップしてお話してみたかったです。
そういえば当時漫研があったのは知っていたのですが、私の中では、フーン、あるね。程度の認識でした。
雑誌リボンの付録だった先生のハード色紙は妹との遺産分与のために取り壊した親の実家から救い出し、今も私の部屋に飾ってあります。

萩尾先生の「ポーの一族」も読んでみましたが、残念ながら私の世界観とはかけ離れ過ぎていて馴染めませんでした。

そして、今振り返ってみるとはっきりとは覚えがないのですが、当時男子が少女漫画を本屋で買うということは、普通に抵抗があって出来なかったはずなので、妹の蔵書の中からやっと探し出したのが大島先生の「ジョカへ・・・」だったと思います。
第一印象は他の作家さん達と比べて目の描き方が大き過ぎないこと、その分リアリティを感じて。
ストーリー展開は途方もないものだったにも関わらずです。
音楽から哲学へと興味が変遷して行く途中だったこともあり、ピエロ・サルトルという一登場人物のネーミングのセンスにもやられてしまったのかもしれません。
それ以後追っかけ続けて蔵書は増えて行く一方。
一人暮らしのベッドの下に当時のまま貯めこんであります。
老後動けなくなった時に読み返す楽しみのために。

このサイトについて

ネーミングの由来は昔飼っていた大親友の愛犬の名前を使わせてもらっています。
ここに刻むことで彼女の存在が少しでも世に残るようにと。
アイコンのイメージは彼女が今天国に居るならっていう感じでAIに作ってもらったもの。
それもあってメイン・テーマは魂の救済につながればと思えるような作品達について。

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